24-1. 近江散歩 司馬さんの旅の時期 1983年12月8日~10日

① 自転車コース その1

21-001 関ヶ原・垂井サイクリングコース 約32km
 東海道本線垂井駅まで輪行し、スタート&エンド。

② 紀行テーマ・地点・歴史

近江路のなかで、行きたいとおもいつつはたしていないところが多い。
 そのひとつに、寝物語がある。そこは美濃と国境になっている。
 山中ながら、 溝のような川(?)が、古い中山道の道幅を横断していて、
 美濃からまたげば近江、近江からまたげば美濃にもどれるという。 ・・・ 司馬遼太郎

◆不破関資料館:関の機能については畿内(滋賀県からは大和政権の支配下)に入る
  侵入者をチエックする目的であると考えがちだが、壬申の乱で大海人皇子が
  美濃・尾張で兵力を蓄えたことなどから、謀反者などが畿内から東国に逃れる
  のを防ぐ機能があったと考えられている。

◆寝物語の里:岐阜県と滋賀県の県境の小さな溝を隔てて建つ旅籠の泊まり客どうしが、
  寝ながら話しができたことから付いた呼称

◆柏原のもぐさ屋:かつて中山道の宿として賑わった柏原には、名物のもぐさを商う店が
  一軒だけ残る。

 近江商人の極意:どんなにすくない商いでも、感謝の心をあらわし、おべっかをいわず、
  まごころでこたえつづける。

③ コースのポイントと写真 その1

垂井~関ヶ原~垂井
美濃国分寺跡 島左近陣跡 寝物語の里 石碑
👆 街道をゆく『24-1. 近江散歩』のコース詳細


① 自転車コース その2

25-003 姉川~安土 約70km
 東海道本線長浜駅まで輪行し、長浜駅をスタートし安土駅でエンド。

② 紀行テーマ・地点・歴史

姉川橋(正称は野村橋)は、じつに長い。その南側の橋畔に、『史跡 姉川古戦場』 という標柱が建っている。岸にも河原にも薄が生いしげって、      ・・・ 司馬遼太郎

◆彦根城:井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設
  され、元和8年(1622)に完成した。

◆姉川古戦場:浅井・朝倉と織田・徳川の合戦
  信長に服従しようとしなかった越前の朝倉義景の居城のある越前・一乗谷を攻めたのが
  始まり。
  信長は、美人との誉れの高い妹のお市の方を浅井家の嫡男長政に嫁がせており、長政と
  お市の間には、万福丸、万菊丸の2人の男子と、茶々、初、お江の3人の姫が生まれた。
  長政は結果として、愛の力よりも、実利よりも、朝倉氏との同盟関係という、義を選択
  したことになる。

◆国友鍛冶の村:鉄砲伝来と信長との関係
  種子島に2丁の鉄砲が伝来したのが天文12年(1543)8月25日のことである。そのうちの
  一丁が、種子島の島主である時尭から、主家にあたる島津義久に渡った。
  島津義久はこの不思議な形をした武器を、京にいる将軍の足利義晴に献上した。
  足利義晴は、何とかして同じ物を国内でも作れないかと思い、侍臣の細川晴元に
  「種子島」の製作を命じた。細川晴元は、北近江国の守護であった京極氏に相談した。
  京極氏は、領国内に優れた鍛冶の技術を持つ国友村があるので、国友の鍛冶衆に任せて
  みるのがよかろうと進言をした。
  これが、結果として国友村の運命を変えることになる。

◆安土城址:
  織田信長が天正4年(1576年)丹羽長秀に命じ、約3年の歳月をかけて完成したが、
  本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っている。

◆近江八幡北ノ庄水郷巡り:びわ湖で暮らす人と、自然との関わり

③ コースのポイントと写真 その2

◆姉川古戦場:
姉川古戦場 姉川古戦場 姉川古戦場

◆近江八幡北ノ庄水郷巡り:
近江八幡北ノ庄水郷巡り 近江八幡北ノ庄水郷巡り 近江八幡北ノ庄水郷巡り








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