26-1. 嵯峨散歩 司馬さんの旅の時期 1984年12月5日~6日
① 自転車コース
26-006 嵯峨散歩 約31km 松尾大社の駐車場まで輪行し、スタート&エンド。
② 紀行テーマ・地点・歴史
嵯峨野を歩いて古代の秦氏を考えないというのは、ローマの遺跡を歩いてローマ人たちを 考えないのと同じぐらいに鈍感なことかもしれない。
かれらは、何世紀のころか日本列島に渡来し、今の京都市(山城国)や滋賀県(近江国) などに農業土木をほどこし、広大な田園をひらいた。 ・・・ 司馬遼太郎
京都の嵯峨野にははるか昔、日本に渡来した氏族の一つ、秦氏が定住していた。
◆松尾大社:
松尾大社は大宝元年(西暦701年)に社殿が創建された京都で最古の神社の一つで、
渡来人秦氏が一族の氏神として信仰した古い社。
◆大悲閣 千光寺:
慶長19年(1614)角倉了以(すみのくらりょうい)が、二尊院の僧、
道空了椿(どうくうりょうちん)を中興開山に請じて建立した寺院である。
角倉了以は、我国民間貿易の創始者として、南方諸国と交易し、海外文化の輸入に
功績をたてた人物で、国内においては、保津川、富士川、天龍川、高瀬川等の
大小河川を開鑿(かいさく)し、舟運の便益に貢献した。晩年は、この地に隠棲し、
開鑿工事に関係した人々の菩提を弔うため、この寺を建てたといわれている。
◆渡月橋:
承和年間(834年 - 848年)に僧、道昌が架橋したのが始まりとされ、現在の位置には
後年に角倉了以(すみのくらりょうい)が架けたとされる。
亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を
述べたことから渡月橋と名付けられた。
◆天龍寺:
臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、1339年(暦応2)
夢窓国師を開山として創建。
室町時代には京都五山の第一位を占めた。
◆水尾:
嵯峨水尾(さが みずお)は、「柚子の里」や「清和天皇陵」などで知られている。
「きれいな水が湧く所」という意味がある。
◆清和天皇陵:第56代 清和(せいわ)天皇 水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)
◆愛宕念仏寺:
天台宗。稱徳天皇開基。もとは東山の地に奈良時代に建てられた古刹。
平安初期に鴨川の洪水で堂宇が流失。天台の僧「千観内供」が再興し,
等覚山愛宕院と号し、比叡山の末寺となる。
◆鳥居本:
嵯峨鳥居本(さがとりいもと)は、京都市右京区の地区名。
古くは「化野(あだしの)」と呼ばれ、京の人々の埋葬の地であった。
現在の町並みは愛宕神社の門前町として発展したもので、化野念仏寺を境に瓦屋根の
町家風民家が並ぶ下地区と、茅葺きの農家が多い上地区と二つの風景が共存する。
◆化野念仏寺:
空海(弘法大師)が五智山如来寺を建て野ざらしの遺骸を埋葬。
のち法然が念仏道場としてから今の寺名に改めた。
◆車折神社:
平安末期、天皇に仕えた儒学者清原頼業を祭る。
金運、良縁、学業の神で、参詣者は祈念神石を社務所で授かり、祈願成就のとき
倍にして返す習わし。社名の由来は後嵯峨天皇の牛車の引棒が社前で折れたことから。
境内に芸能神社があり、芸能人の信仰もあつい。
③ コースのポイントと写真 その1
◆松尾大社:
松尾大社 | 松尾大社 | 松尾大社 |
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松尾大社 | 松尾大社 | 松尾大社 |
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◆嵐山からの保津川の眺め
嵐山からの保津川の眺め | 嵐山からの保津川の眺め | 嵐山からの保津川の眺め |
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◆大悲閣 千光寺
千光寺 | 千光寺 | 千光寺 |
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千光寺 | 千光寺 | 千光寺 |
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◆渡月橋
渡月橋 | 渡月橋 | 渡月橋 |
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◆天龍寺:
天龍寺 | 天龍寺 | 天龍寺 |
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◆嵯峨野:
野宮神社 | さがの楓カフェ | 落柿舎(らくししゃ) |
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有智子内親王墓 | 西行井戸 | 二尊院 |
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◆鳥居本
鳥居本 | 愛宕神社一の鳥居 |
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◆六丁峠
六丁峠 | 六丁峠 | 六丁峠 |
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◆水尾
水尾 | 水尾 | 水尾 |
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水尾 | 水尾 | 水尾 |
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水尾 | 水尾 | 水尾 |
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◆車折神社(くるまざきじんじゃ)
車折神社 | 車折神社 | 車折神社 |
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