32-2. 紀ノ川流域 司馬さんの旅の時期 1988年6月

① 自転車コース

30-002 岩出~根来寺~貴志駅~紀三井寺~雑賀崎~和歌山城~岩出 約67km

② 紀行テーマ・地点・歴史

根来寺は、もはや往時のようではない。その空閑としたところが、この広大な境内の 清らかさになっている。わずかに残った大門や堂塔、塔頭が、低い丘陵と松柏にかこまれて、 吹く風までが、ただごとではないのである。            ・・・ 司馬遼太郎

◆根来という地名は、ネゴロという地理用語ではあるまいか。
  『峰をほどよくさがった南陽(みなみび)を受ける斜面』という地点を、
  ネゴロというのではあるまいか。 ・・・ 司馬遼太郎
  私の妻も、山のふもと辺りを『ネキ(根際・根来?)』と呼ぶが。

◆紀州の雑賀(さいか)鉄砲衆。
  戦雲うずまく戦国末期、今の和歌山市に住んで、天下に並ぶもののない、
  火縄銃の使い手としておそれられた雇い兵の集団。
  織田信長とたたかった雑賀衆の頭領である孫市、その子である孫市郎が韓国に渡り、
  帰化して「沙也可(さやか)」と呼ばれ、将軍になった。
  その子孫が現在、数千人いるのだそうだ。
  紀州東照宮には沙也可顕彰碑まで建立されている。

◆根来寺:新義真言宗総本山
  大治元年に建立された根来寺は、室町時代になると、院98、僧坊2700、寺領70万石、
  僧兵数万となり、紀伊・和泉・河内に一大勢力を誇った。
  種子島から鉄砲生産の技術を得て、新兵器鉄砲をいち早く取り入れた根来寺、
  強大な武装勢力であった。

◆岩出町民俗資料館:
  根来寺をはじめ、岩出の歴史・文化・風土、人々の暮らしの変遷を紹介する資料館。

◆紀伊風土紀の丘:
  国の特別史跡「岩橋(いわせ)千塚古墳群」の保全と公開を目的として1971年8月に
  開館した、考古・民俗資料を中心とした和歌山県立の博物館施設(登録博物館)。

◆鳴神貝塚:
  縄文時代前期(約6500年前)から晩期(約3000年前)、さらに弥生時代まで人々が住み
  続けたことが遺物から推定されます。出土する貝が海の貝であることから、当時和歌山
  平野はまだ海が広がっており、ここ花山の麓は海岸線であったことが推定される。

◆日前国懸神宮:日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)
  天照大神(アマテラスオオミカミ)を天石窟(アマノイワヤ)から招き出すために
  最初に鋳造された宝鏡が、紀伊国に鎮座する日前神のご神体として祀られている。

◆聖天宮法輪寺:和歌山城の鬼門除けの寺

◆和歌山城:
  天正13年(1585)豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まり。
  徳川家康の第十男頼宣が入城して城郭の大改修を行ない、明治維新までの250年間
  徳川御三家の居城として偉容を誇る。

③ コースのポイントと写真

◆根来街道:大阪府泉南市樽井から和歌山県岩出市まで
現在の根来街道 道の駅 根来さくらの里

◆岩出町民俗資料館:
岩出町民俗資料館
 基本的テーマ
「岩出市の風土と暮らしの移り変わり」

◆根来寺:覚鑁(かくばん)によって建立された
根来寺 大塔 根来寺 大伝法堂

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◆紀ノ川から貴志川へ
紀ノ川 貴志川 貴志川

◆貴志駅:和歌山電鐵 貴志川線 猫のスーパー駅長「たま」で話題を呼んだ
貴志駅 貴志駅 貴志駅

◆紀三井寺:もと真言宗山階派に属したが、1948年に独立して救世観音宗総本山を名乗る
紀三井寺 紀三井寺 紀三井寺からの眺望

◆和歌の浦
和歌の浦
 このあたりで昼食にいい時間になる。
 カフェ&レストラン レシアンエラメールが良い。
   

◆塩竈神社(しおがまじんじゃ)
塩竈神社(しおがまじんじゃ)
 鹽竈神社は玉津島神社の祓所から神社になった。
 海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、
 神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座する。

◆紀州東照宮: 徳川家康をまつった神社
紀州東照宮 紀州東照宮

◆雑賀崎:さいかざき 奥和歌浦(おくわかうら)とも呼ばれる
コート・ダジュール コート・ダジュール跡より 雑賀崎 スハネフ14-1

このあたりに多くあったホテルが、殆んど閉館されている。
コート・ダジュールも潰れていた。和歌山県の凋落ぶりが激しい。

◆番所庭園:ばんどこていえん 雑賀崎にある海洋眺望絶佳の景勝地
番所庭園 番所庭園

◆和歌山県立博物館:和歌山の文化歴史に関する展示を行っている
和歌山県立博物館

◆和歌山城:徳川御三家の一つ、紀州藩紀州徳川家の居城
和歌山城
天正13年(1585)に紀州を平定した秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まり。
築城を担当したのは、築城の名人藤堂高虎(とうどうたかとら)。
まず、秀長の城代として桑山重晴(くわやましげはる)が入り、 慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(よしなが)が入城。
その後、元和5年(1619)には徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が入城し、 紀州55万5千石の城となる。
以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとなる。

◆聖天宮法輪寺:
聖天宮法輪寺
 境内には「ぼけよけ地蔵」から恵比須神社、
 弘法大師像まで、様々な神仏が祀られる。
 

◆日前国懸神宮:ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう
日前国懸神宮
 紀伊国一の宮として古くから尊崇を集めた。
 

◆鳴神貝塚:
鳴神貝塚
 縄文時代前期(約6500年前)から晩期(約3000年前)、
 さらに弥生時代まで人々が住み続けた。
 
 現在は、看板が立っているだけ。

◆紀伊風土紀の丘:
紀伊風土紀の丘
 岩橋(いわせ)千塚古墳群の
 保全と公開を目的とした博物館。








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